ミセルチカラの磨き方
得意だけど自信がない。それっておかしいですか?
心意気を形にするコトノハ職人、岩井洋美です。
先週のブログ、「東京も梅雨に入りました」で始まりましたが、連日梅雨明けしたかのような猛暑です。
6月でこの暑さですから、この先が思いやられますね。
今日は「自信」について、特に「自信の基準」についてお伝えしようと思います。
「自分に自信がない」という人がいます。
「自信」というひとつの言葉で表現していますが、2つの場合があるんじゃないかと思います。
1つは、特定のこと、分野、仕事が成果に結びつかない状態。
もう1つは、自分の存在や価値に意味を見いだせない、確信できない状態。
同じように「自信がない」で片付けてしまいますが、もうちょっと踏み込んで言うなら、
前者は、自分や他人の判断があるために「得意ではない(不得意)」
後者は、ちょっと力が湧かないために「自信が持てない」
ということだと思います。
1つめの場合「自信がない=不得意」なら、「得意」であれば「自信がある」と言えるということになります。
でも、そうでしょうか?
常々、私は夫から言われていることがあります。
「なんで歌はそんなに自信がないの?」
夫から見れば、
・歌は得意
・ライブにはお客さんもいっぱい来てくれるし、素晴らしいミュージシャンが演奏をしてくれる
・子供の頃から時間も労力もお金も費やしている
「得意=自信がある」の条件はクリアしているのに、夫からすると、う~んと後から始めた仕事ほどには私が歌に自信を持っているようには見えないわけです。
「なんでかなぁ…」と長らく答えが出ないままでいたのですが、最近になって自覚したことがあります。私の基準は「自信があるかないか」ではないということ。
私は料理も得意です。人からお料理上手だとも思われています。だけど、「料理には自信がある」とはならないのです。
じゃぁ、何か? 「料理は好き」ということだけ。
同じように「歌うことが好き」ということだけ。
「好きだから自信がある」でもなく、「自信があるから好き」でもなく、「好き」は独立して存在するので、結果として「自信があるかないか」が基準にはならないわけです。
どちらが良いとか悪いとかではなく、「自信」ということの基準も人によって同じではないということです。
悩んだり考えて、何かを克服したり努力をするのは「自信を持ちたいから」ではなく、「好きだから」こそ、より自分の納得する方向に行きたいから。それが私にとっての基準です。
「自信を持てる」と「好きを究める」が最終的には同じ状態になるのだとしても、そのプロセスは違いますし、途中の感情も違います。それを間違えると、もうひとつの「自信がない」、自分の存在や価値に意味を見いだせないことにつながります。
そして、この「自信がない」が顔をだすのは、何か「比較対象」があるときです。
例えば私なら、「自分より歌の上手い人なんて世の中にいっぱいいる」と思って「自分の歌は下手だ」とジャッジするようなもの。
つまりこれだと、基準は自分じゃなくて他人ですから、今日お伝えしてきた「自信の基準」とは別物です。
「自信の基準」に話を戻すと、自信が持てなくてちょっと力が湧かないのを助けてくれるのは「自分のための、自分だけの基準」ということです。この答え、どこをどう検索しても見つかりません。AIだって教えてくれません。答えは自分自身にしかありませんから。
あなたも「自分のための、自分だけの基準」ハッキリさせてみてください!
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それでは、暑さに負けず今日も1日お元気で。
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