ミセルチカラの磨き方
機能だけでも、感情だけでも動かない
心意気を形にするコトノハ職人、岩井洋美です。

満開の桜の下で入学式の写真なんていうのも今は昔。
今なら卒業式に桜というかんじでしょうかね。満開の桜もここのところの雨で散り始めたものもありますけれど。
ブログで、時々私の母の話をしていますけれど、元気で穏やかな毎日を過ごしていた90歳の母の日常が一瞬にして崩れることになりました。
3月の初め、母が暮らす介護ホームでノロウイルスが発生。母が感染して緊急入院することになりました。
嘔吐した際に誤嚥をしたことから肺炎も併発し、高齢の母にとっては厳しい状況が続きました。
感染についての「あれやこれや」はひとまず置いておいて、母は約1ヵ月に渡る入院生活を経て退院することができました。
そんな母の「生きる力」から見えたことをお伝えしたいと思います。
ノロウィルスは感染症です。ウイルスが体内から無くなれば終わり。肺炎も投薬で炎症が収まれば終わり。
ただ、脱水状態を避けるための点滴治療は退院が決まる直前まで続いていました。これらは病気を治すための医療的ケアということになります。
でも、残念ながら医療的ケアだけで母は回復しませんでした。
「食べることができない」
食べられなければ体力も落ちていくと分かっていても、実際問題として食べられないわけです。
医療ケアとしては、ゼリーのようなものを食べるところから始め、栄養が取れるドリンクにしてみたり。食べやすい味はなにかとか、食べられる形態はどういうものかとか母が食べるための「方法」を試していくことになるわけです。
それでもなぜ食べられないのか?
母には「食べたらまたお腹が痛くなる」という恐怖が残っていました。また、誤嚥したことによって、以前より飲みこみにくくもなっているようでした。そして、味覚そのものが無くなっていました。
味覚が無くなっていることに気づいたのは、母の大好きな甘いカフェオレをスポンジにつけて飲ませてみた時。
とんでもなく苦いものを食べた時のような表情をするので、最初はコーヒーの苦みなのかと思いましたが、そうではありませんでした。何を食べても味を感じず、苦みだけが口の中に残るようでした。
これは目に見えないことです。検査の数値にも表れません。
自分の症状として言えればいいのですが、母は発語が不自由ですから、我慢するしかなかったのだと思います。
医療的ケアでできないことを補ったのが、声をかける、話をする、手を握る、笑わせる、歌を聴かせる…等々。
これを情緒的ケアというようです。
お気づきでしょうか?
日頃からお伝えしていることに似ていませんか?
- 医療的治療→機能価値
- 情緒的ケア→感情価値
どちらか一方では足りないということ。
両方あって初めてお客様に提供する価値になると言い続けていますが、「生きる」ということにおいても欠かせなかったわけです。
「食べられるようにさえなったら点滴が取れる」「点滴が取れたら退院できる」と母に言い続けました。桜の便りが届く前から「必ずお花見に行こう」と目標もつくりました。
「既に医療的な治療でやることはない」という中で、退院を前に看護師さんがおっしゃいました。
「もう戻れないと思ってた」 これが現場のリアルな声です。
それでも母は生きることをあきらめませんでした。
母が見せてくれた「生きる力」は、ただ強いとか、ただ頑張ったということではなく、人としての「あり方」そのものだと思い知らされました。
私たちは、問題が起きると、「どうすれば解決できるか」という方法を探します。
けれど、母が教えてくれたのは方法だけでは人は回復しないということでした。
機能だけを整えても、動かない。
感情だけを満たしても、続かない。
この両方が噛み合わないとき、そこに「ズレ」が生まれます。
そしてそのズレは、ビジネスでも同じように起きています。
あなたが今、うまくいかないと感じていることは、方法の問題でしょうか。それとも、もっと手前にある何かでしょうか。
新年度もスタートしました。ぜひ考えてみてください。
では、今日も1日お元気で。
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高品質、高性能を追求してきた機能価値重視の時代を引っ張ってきた人たちにはなかなか理解してもらえませんが、機能価値だけで感情価値のない商品やサービスなんて売れません。
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