ミセルチカラの磨き方
「私はどう思う?」が抜けたとき、判断の外注が始まる
心意気を形にするコトノハ職人、岩井洋美です。

私たちの日常に今やAIはしっかり入り込んでいますけれど、こんなことを思ったことはないでしょうか?
「AIがそう言うなら間違いないかも。きっとそうなんだろうな。」
何かしらの依頼事項の結果だったら、そういうこともあります。
でも、「あなたの強みはこういうことです」という類のものはどうでしょうか。
「そうか、自分の強みはこういうことだって言えるな」と納得して、それが自信につながることもあるかもしれません。
では、これはどうでしょう。
「人にも同じことを言われたことあるけど、AIも言うなら間違いない」
これはAIからもお墨付きをもらえたような、安心感があるのかもしれません。
でも、私はこのプロセスにとても「変なかんじ」を持っています。
AIを信頼していること自体に引っかかっているわけではありません。
「AIが言った」→「じゃあ、これは正しい」になった瞬間に、間にあるはずの「私はどう思う?」が抜けていることへの違和感です。
これは「AIに依存している」とも違います。
依存なら「AIがないと不安」「AIに聞かないと決められない」みたいな状態を想像できます。
でも、「人から言われるより、AIから言われた方が信じられる」というものです。
これは、あえて言うなら「判断の外注」です。
「AIは忖度しない=客観的=正しい」という前提ができているとすると、自分で判断した結果としてAIを採用したように感じます。だから、本人には外注している感覚なんてありません。
忖度も気遣いもないAIの答えなら、人から言われるより信じられることも、場合によってはあるかもしれません。
でも、AIは「私の評価は客観的で正しいです」と保証しているわけではないんです。あくまでもAIの問題ではなく、私たち人間がAIをどう捉えているかの問題です。
「AIの答えが正しいか間違っているか」ではなく、その答えを見て、「自分はどう感じた?」「どう捉えた?」「自分はどうしたい?」が抜けていないかどうかです。
繰り返しになりますが、「AIを信じちゃダメ」ではなくて、「あれ? 判断まで渡してない?」ということ。
お伝えしたいのは、AIを使うことと、判断を外注することはまったく違うということです。
判断の外注の相手というのは、AIだけに留まりません。
上司が言ったから。専門家が言ったから。みんながそう言っているから。
これも同じように「判断の外注」が起こる可能性があります。
AIでも上司でも専門家でも、その答えを参考にして、自分で決める」ならハンドルは自分にあります。
でも、「AIがそう言うなら間違いない」「上司がそう言うなら…」になった瞬間、本人は気づかないままハンドルを渡すことになります。
「自分で見る・捉える・決める」をやらなくなってしまったら、私自身も含めて、誰もが「判断の外注」をしかねないということです。
AIにも聞く。
専門家にも聞く。
誰かの意見を参考にする。
それでも最後に、「私はどう思う?」「私はどうしたい?」と、自分のところへ一度戻ってくる。
自分のハンドルを自分で握るというのは、誰の意見も聞かず、何もかも自分だけで決めることではありません。
いろんな答えを受け取ったうえで、自分で見る。
自分で捉える。そして、自分で決める。
AIがどれだけ賢くなっても、「私はどう思う?」まで手放す必要はないのだと思います。
それでは、今日も1日お元気で。
★関連する記事は「頑固とは、自分のハンドルを手放さないこと」
私が誰かにモヤモヤするのは「この人は自分のハンドルを握っていない」ということが見えるときです。
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