ミセルチカラの磨き方
構造は完成図ではない。動き続ける関係の設計だ。
心意気を形にするコトノハ職人、岩井洋美です。

先日我が家のベランダに、「黄色い道」が姿を現しました…。
そう、スギ花粉です。塊を目の当たりにするとゾッとしますね。
みなさんは、花粉症の症状に苦しまれていませんか?
さて、今日は最近の私が感じている「違和感」の正体について。
この「違和感」が何かと言うと、「構造って言葉を使う人ほど、構造を見ていないんじゃないか?」という疑問に近い違和感です。言い換えるなら、「動いてないものを構造って言うのか…」っていう驚き。
これを読んでくださっているみなさんの方が「動いてない」と言っている時点で違和感かもしれませんけれど。
みなさんは「構造」にどんなイメージを持っているでしょうか?
多くの人の「構造」のイメージは、「図のようなもの」で出来ています。
ピラミッド図、フレームワーク、相関図、ロジックツリーのように「整理された見た目」=構造というかんじ。
いろんな要素がきれいに並べられた固定図なので、動かない。
私の理解としては、これは構造そのものではなくて「理解を深めるための説明図」だと思っていました。
本当に「構造」を考えるなら、なぜそれが起きるのか、どこが動くと全体が変わるのか、何が原因で何が結果か、どこがボトルネックかを同時に見ないと分かりません。
なぜなら「構造」というのは、本来見えないものだから。
関係、因果、位置、流れ、前提、力の向き、それぞれの「関係の設計」です。
私が実感している「構造」は常に動きます。条件で変わります。関係で変形することもあります。人が入ると変わります。
だから、要素の羅列をして固定図にした瞬間、それはもう構造じゃなくなっています。
でも、「構造」という言葉に落とし込むことは便利です。
大事そうな言葉を集めて、概念を並べて、仮に中身はうすっぺらなものであってもそれっぽくまとめるとすごそうに見えます。それに、図があることで分かった気になりますから、「構造=完成図」の安心感があります。
だから「構造」は現代ビジネスで最強ワードの一つと言われることにも納得します。
でも、次にこういう疑問。私が考える「構造」と違うのはなぜなんだろう?と。
私達が学校で習ってきたものとは違うからかもしれないというのはあります。学校で習うものは、正解がある、手順がある、解き方があるもの。
なぜその問題が起きるのかとか、条件が変わると何が変わるかとか、構造として理解することではなくて、手順再現を学んでいたのかもしれません。それに評価基準が固定されていますから、構造理解は評価されません。
そういう中で育ってきた私たちが今いるのが情報過多時代です。
構造化とは逆方向に進んでいます。検索が考える代わり、AIがまとめる代わり、SNSが判断する代わりです。
だから今流行るものは、◯◯の法則、フレーム、テンプレ、型、メソッド。全部「部分処理」で済みますから、全体の関係性をつなげて組み立てる必要がない。
そういう状況の中であっても、私の仕事は全て「構造」で成り立っています。つまり、見えないものの関係性をつなげて全体を見える形にするということ。心意気もそう、世界観もそう、生き方もそうです。
「価値観→判断基準→選択→行動→結果→関係→次の現実」
これはいろんなものとの関係性によって常に循環しています。
だから、構造とは「完成図」ではなく関係が動き続ける状態のこと。私はそう思っています。
それでは、今日も1日お元気で。
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