ミセルチカラの磨き方
「目的がある」とはどういうことか─見落とされがちな本質
心意気を形にするコトノハ職人、岩井洋美です。
連日大変な暑さです。こうなるともう「暑い」より、「熱い」「痛い」という感覚ですね。
普段から「コトノハ職人」としては、「言葉」についてはいろいろと考えています。ビジネスのことも、その人自身のことも、明快にするための言語化は切ってもきれないことですから。
そういう中で久しぶりに耳にした言葉というか、ことわざがあります。
「仏作って魂入れず」
仏像を作っても魂を入れなければただの物。同じように、物事を完成させても肝心な部分が欠けていれば、努力が無駄になるという意味ですね。
こういう事態を避けるためには、目的を明確にすることも大事でしょうし、自分自身の想いとか情熱を込めることも大切だと思います。
…とまぁ、ここまでは誰もが知っている知識。
ちょうど先週のブログでも、「何のために」という目的についてお伝えしたばかりです。
実はこの「仏作って魂入れず」ということば、私に、私の音楽活動に向けられたものなんです。
私は定期的に歌のライブを開催していますが、「今度はここでやります。聴きに来てね。」というのは、まさに「仏作って魂入れず」と同じになりかねないというご指摘。
「箱を用意しましたので歌います」では、目的が明確ではないということのようです。「ここで歌うから来てね」が通用するのは、世間のみんなから認知されている歌手だけだとも。
このご指摘、私へのアドバイスとしてのものですが、変わらない「目的」がいかに大切であるかをお伝えしてきた私としては、何とも複雑な気持ちです。
もしも私が何の目的も無く、想いも無く、「ここで歌うから聴きに来てね」とライブをするのであれば、それってただの発表会。お金を払って聴きにきてくれるお客様にも演奏をしてくれるミュージシャンにも失礼です。そもそもそんな状態では、ライブ活動なんて続けていけません。
ただ、「目的」の定義が違うということにも気づきました。
「今回はこういう目的でこういう人のために歌います」というのは、目標を達成するのと同じ「変わる目的」です。ライブということで言うなら、「興行目的」ですから、「テーマ」に近いものだと思います。
私の目的は、自分の心意気と直結した、どんなときでも変わらない「目的」です。「何のために歌うのか」は私自身に根差したものです。そして、それは、自分の中にしっかりあればいいだけのものだと思っています。
まさに先週のブログでお伝えしたことが、自分に降りかかってきたというかんじです。
ライブに足を運んで歌を聴いてくれる人にとって、私が「何のために歌うのか」という理由なんて大したことではありません。私のライブを楽しみにしてくれている人たちが同じ時間、同じ空間、同じ空気感の中で喜んでいただく以上のことなんて何もないんですから。
それは、ビジネスであっても同じ。
自分として、あるいは会社としてブレない目的を明確にするのは、商品やサービスを通して、究極は「お客様に喜んでもらう」ことだからです。だからこそ、商品やサービスには機能的なことだけではなく、想いを込めることが大事なんです。
私は「歌を通してこういうメッセージを世の中に伝えたい」というシンガーではありませんが、歌声にも、自分で書いた歌詞にも、ライブ中のトークにも「想い」は潜んでいます。
聴いた人それぞれが自然に何かを感じてもらうことが大事。ある意味、「お客様の笑顔」それが私にとっての答えです。
結局のところ、自分の信じる大切なことは自分で実践していくしかないということです。
私自身にも改めて言い聞かせましょう。
「独りよがりの目的なら要らない。変わらない『目的』からブレずに!」
暑い日はまだまだ続きます。今日も1日お元気で。
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「何のために」というのは、いくらでもかっこよく、もっともらしく言えてしまいます。どんなに上手く言えたとしても、それに対する向き合い方や姿勢、ふるまいからほころびは見えるもの。「何のために」は「在り方に直結している」からです。
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