ミセルチカラの磨き方
評価されているのに、なぜか納得できない人の正体
心意気を形にするコトノハ職人、岩井洋美です。

みなさんにもこんな風に思うことがあるんじゃないでしょうか?
「この人、実は本質的なことが空っぽなのに、どうして評価されてるんだろう?」って。
「空っぽ」というのはちょっと語弊があるにしても、「何でこの人が?」みたいなことです。
先日クライアントさんともそんな話になって、「それって信用されても、信頼されないですよね」という話をしました。
「信用」と「信頼」、同じだと思いますか?
なんとなく違うけど、なんとなく同じようなものとして曖昧にしていないでしょうか。
この「信用」と「信頼」は、真逆の性質を持っていると思います。
そもそも、「信用」というのは、外側の評価です。
肩書きや所属や実績、学歴というのもあるでしょう。見た目や話し方、資格や経歴というのもあります。外から見て判断できる情報でつくられるものです。だから再現性があるし、演出も設計もできます。
一方で「信頼」は、「内側との関係」が影響しています。
言葉と行動が一致しているかというのはポイントです。都合が悪いときにどう振る舞うかとか、相手を操作しようとしていないかとか。その人の判断軸にブレがないかというのも大いに気になります。
つまり、その人の在り方そのものに触れたときにしか、「信頼」は生まれないということだからです。
これは外からは測れないことですし、短期で築くことも難しい。それに、ごまかしが効きません。ごまかしは、そのうちにバレてしまいますから。
「信用」と「信頼」は真逆のものと考えると、「何であの人が評価されてるの?」と感じるときは「信用は高いけど、信頼は感じない」というズレがあるのだと思います。
そして、外側情報だけで出来上がった「信用」を「信頼」と呼んでいることも多々あることにも気づきます。
「信用」はつくりだすものだから良くないと言うつもりはありません。
現実問題として、大事なことでもあるからです。
例えば、空気を読むとか、上司に好かれるとか。安全な言葉を選ぶということもできるでしょうし、評価される振る舞いを熟知していたりもします。だから組織の中では強いし、短期的な成果や肩書きも手に入ります。
ここで忘れてはいけないのは、外側情報でつくった「信用」は、条件付きだということです。
条件が崩れたら、簡単に壊れてしまいます。
信用を武器にしている人ほど、評価を失うことが怖いはずです。立場にも依存しますから、環境が変わって通用しなくなるのも嫌います。つまり、外側の条件が揺れた瞬間、自分を支えるものがなくなると言えます。
でも、「信頼」は、関係性から生まれるものです。
信頼関係の元では、条件が揺らいだとしても残るものがあります。
信用だけで進んだ人には、「信頼」という関係が積み上がりませんから、「次も一緒にやりたい人」にはなりません…残念ながら。
「信用」と「信頼」をあえて区別して言うなら、信用は「選ばれる理由」、信頼は「離れない理由」です。
「信用」を選ぶにしても、「信頼」を選ぶにしても、これはどちらが良いか、どちらが必要かではありません。どう生きるかという「在り方の選択」です。
「自分はどの構造で生きるか」ということに尽きます。
そもそも私は、20年間の専業主婦生活から「若くない・実績ない・経験ない」で仕事をスタートしていますから、社会的信用というものがありませんでした。だから「自分の生き方の構造に従う」の一択です。
それでは、今日も1日お元気で。
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