ミセルチカラの磨き方
言語化ブームの裏で起きている本当の行き詰まり
心意気を形にするコトノハ職人、岩井洋美です。

NHK朝ドラのヘブン先生じゃありませんけれど、「サムイ…ジゴク…」状態が続いていましたね。
日本海側の雪に比べれば、東京の雪は大したことはないとは言え、先週末は降雪量が気になって窓の外をずっと確認していました。案の定、雪かき必要レベルまで積もりました。
ここのところ毎回のようにお伝えしている「言葉にする」とういうこと。
最近、私自身がすごく気になることがありました。
手にした1枚のセミナーチラシにこう書いてあったんです。
「言語化する技術」
私の中にムクムクと湧き上がってきた違和感。
「言語化は技術なのか?」
確かに、「うまくまとめる」「それっぽく整える」「分かりやすい言葉にする」ということだけなら、「技術」と言えるかもしれません。言語化を「伝えるための方法」とするなら、「技術」は間違いじゃない。
後から言葉を当てられますし、手順として説明できます。そして、「こうすればできる」と分解できる。
切り取れる→真似できる→手順化できる→使えば同じ結果が出る
これができるから、「技術」として教えられるのだろうと思います。
そう考えると、私の中での言語化はこれと真逆になりますから、「言語化は技術なのか?」という違和感が湧いてくる。これも当然の反応と思えます。
私は言語化を「方法」として扱っていません。
私にとっての「言語化」は生き方や判断の癖が、そのまま言葉になること。
うまく言うためのものではなく、その人の中から立ち上がってくるものです。
- 言葉は、感情と思考が一致した痕跡。
- 言葉は、在り方がにじみ出たもの。
- 言葉は、生き方の結果。
だから、「言語化=在り方」であって、「言語化=技術」ではないのです。
とは言え、「言語化」という手法が今やたらに言われるのはなぜなんでしょう?
その理由の1つとして、いわゆるマーケティング手法が頭打ちになっているからと考えます。
かつて言われてきたUSPにしろ、ポジショニングにしろ、差別化、ストーリー設計等々、もう全部やり切られたかんじがします。そういうものを教えていた人たちも、見かけなくなりました。
それに今はAIで誰でもそれっぽいものが作れますから、「うまく作る」こと自体は、価値にならなくなっているんじゃないでしょうか。
どんな方法であれ、目新しさが続かなくなれば「次の手法待ち」になりますから、原点回帰のように「言語化」なのかもしれません。
でも、言葉だけ回帰してどうするんでしょう?
私は最終的に戻るのは「手法」ではなく、「在り方」だと思っています。
そしてその在り方を言葉にしたとき、立ち上がってくるのが「世界観」というもの。
世界観って「設計するもの」じゃなくて「にじみ出るもの」ですから、言語化の「技術」だけでは生まれません。
長くなってきたので、この「世界観」については、また次に。
では、今日も1日お元気で!
★関連する記事は
↓ ↓ ↓
「自分だから言えること」や 「自分にしか言えないこと」を自分の言葉で伝えよう
同じことを同じように言うにしても、人であれば各々の人が各々の言葉で「自分だから言えること」「自分にしか言えないこと」を伝えられる。
ヒーズでは、弊社の日頃の活動内容や基本的な考え方をご理解いただくために、専門コラム「知恵の和ノート」を毎週1回更新しており、その内容等を無料メールマガジンとして、お届けしています。
上記のフォームにご登録いただければ、最新発行分より弊社のメールマガジンをお送りさせていただきます。お気軽にご登録いただければ幸いです。