ミセルチカラの磨き方

2026/02/12

言語化ブームの裏で起きている本当の行き詰まり

カテゴリー :マーケティング

心意気を形にするコトノハ職人、岩井洋美です。

「言語化する技術」にモヤっとした朝

NHK朝ドラのヘブン先生じゃありませんけれど、「サムイ…ジゴク…」状態が続いていましたね。

日本海側の雪に比べれば、東京の雪は大したことはないとは言え、先週末は降雪量が気になって窓の外をずっと確認していました。案の定、雪かき必要レベルまで積もりました。

 

ここのところ毎回のようにお伝えしている「言葉にする」とういうこと。

最近、私自身がすごく気になることがありました。

手にした1枚のセミナーチラシにこう書いてあったんです。

言語化する技術

 

私の中にムクムクと湧き上がってきた違和感。

言語化は技術なのか?

 

確かに、「うまくまとめる」「それっぽく整える」「分かりやすい言葉にする」ということだけなら、「技術」と言えるかもしれません。言語化を「伝えるための方法」とするなら、「技術」は間違いじゃない。

後から言葉を当てられますし、手順として説明できます。そして、「こうすればできる」と分解できる。

切り取れる→真似できる→手順化できる→使えば同じ結果が出る

これができるから、「技術」として教えられるのだろうと思います。

 

そう考えると、私の中での言語化はこれと真逆になりますから、「言語化は技術なのか?」という違和感が湧いてくる。これも当然の反応と思えます。

私は言語化を「方法」として扱っていません。

 

私にとっての「言語化」は生き方や判断の癖が、そのまま言葉になること。

うまく言うためのものではなく、その人の中から立ち上がってくるものです。

  • 言葉は、感情と思考が一致した痕跡。
  • 言葉は、在り方がにじみ出たもの。
  • 言葉は、生き方の結果。

だから、「言語化=在り方」であって、「言語化=技術」ではないのです。

 

とは言え、「言語化」という手法が今やたらに言われるのはなぜなんでしょう?

その理由の1つとして、いわゆるマーケティング手法が頭打ちになっているからと考えます。

 

かつて言われてきたUSPにしろ、ポジショニングにしろ、差別化、ストーリー設計等々、もう全部やり切られたかんじがします。そういうものを教えていた人たちも、見かけなくなりました。

それに今はAIで誰でもそれっぽいものが作れますから、「うまく作る」こと自体は、価値にならなくなっているんじゃないでしょうか。

 

どんな方法であれ、目新しさが続かなくなれば「次の手法待ち」になりますから、原点回帰のように「言語化」なのかもしれません。

でも、言葉だけ回帰してどうするんでしょう?

 

私は最終的に戻るのは「手法」ではなく、「在り方」だと思っています。

そしてその在り方を言葉にしたとき、立ち上がってくるのが「世界観」というもの。

世界観って「設計するもの」じゃなくて「にじみ出るもの」ですから、言語化の「技術」だけでは生まれません。

 

長くなってきたので、この「世界観」については、また次に。

では、今日も1日お元気で!

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